授業プラン「折り鶴の少女」の実践記録

─「副題づけと全文短い話しかえ」とそれへの子どもの批評

2007年秋 6年

授業者:箕野 越好

(文中の児童名は全て仮名です)

禎子の体験から、原爆のおそろしさ、平和の大切さが伝わった

立岡綾香

私はこのお話を読んで、あらためて原爆のおそろしさや平和の大切さを感じました。私は原爆によって被害を受けたこともなく、平和な日本で暮らしています。でも、それを当たり前に感じてはいけないな、と思いました。

まず、原爆が広島に落とされたときのことです。このお話の主人公・禎子はまだ2才でした。原爆が爆発したしゅん間、それだけでたくさんの人が死にました。家の下じきになった人や火に巻き込まれた人など、たった一発でたくさんの死者が出た原爆は、とてもおそろしいものだと思いました。

でも私は、原爆の本当のおそろしさは爆風でも熱でもなく、放射能だと思います。それはこのお話を読んで初めて思ったことです。禎子は、記おくもないような2才のことがきっかけで、約十年後の十月に、命を落としたからです。その原因が放射能だったので、そう思うようになりました。禎子がかわいそうだと思った場面は、やっぱり禎子が自分の死を予感し、不安な気持ちになっていたところです。私は、なんで罪のない禎子が、こんな目にあわないといけないのだろう、と思いました。禎子の気持ちを考えると、とても辛い気持ちになりました。

私は、原爆のせいで辛い思いをしたのは禎子だけじゃないと思います。もちろん他の原爆症で苦しんだ人もそうだと思うけど、その周りの人々も同じ思いをしていたのだと思います。例えば禎子の家族、クラスメート、野村先生や親せきの人たちです。実際に原爆によって被害を受けていない人たちでも、禎子のことを知っている人なら、だれでも悲しく、辛い気持ちになると思います。原爆は、禎子だけでなく、その周りの人々の気持ちも、悲しく変えてしまうんだなぁ、と思いました。

原爆の本当のおそろしさは放射能で、たくさんの人々を殺し、さらにその周りの人々の心にも傷を作る、ということだと思います。爆風でおり曲がった木や、火で燃えてしまった家は直せるけれど、死んでしまった人はもうもどらないし、大切な人をなくしたという心の傷は一生治りません。

このお話を読んで、原爆はおそろしいな、という気持ちと同時に、平和は大切なことなんだな、と思いました。この原爆のことをきっかけに、戦争のない世の中になればいいなぁ、と思いました。

☆綾香さんへの子どもの批評

戦争で悲しむ人がいなくなるように努力したい

広沢佐緒里

綾香ちゃんの「全文短い話しかえ」には、私が考えなかったことがたくさん書かれていました。

1つは、今私たちは平和な日本で暮らしているけれど、当たり前に感じてはいけないということです。『折り鶴の少女』を読んで大変だった戦争中のことを知ったのに、私は当たり前のようにしていました。

2つ目は、禎子が自分の死を予感して不安になり、どうして罪のない禎子がこんな目にあわないといけないんだろうと思いました、と書いているところです。私は考えもしませんでした。でも、確かにそうだと思いました。考えてみると広島にいただけで、何も悪いことをしていないと思います。とてもかわいそうだと思いました。

3つ目は、禎子の病気で、みんな悲しくなったというところです。確かにみんな悲しくなって、幸せになった人はいませんでした。私も悲しいことだと思いました。

4つ目は、この原爆のことをきっかけに、戦争のない世の中になるといいと思います、と書いてあって、今はまだ戦争をしている国があるけれど、いつかは綾香ちゃんの思ったように、戦争のない世の中になるといいと思います。そのためにできることをがんばりたいと思いました。

綾香ちゃんのを読むと、私にはなかったいろんな思いがあり、すごいと思いました。

たくさんの人の協力と原子爆弾のすごさ

西田麻美

「折り鶴の少女」を読んで、私は、たくさんの人が協力することの大切さと原子爆弾のすごさを感じました。

クラスメートは、禎子のために慰霊碑を建ててあげることにし、募金運動を始めました。募金運動には、日本全国の学校、その他一般の人が募金運動に協力してくれました。私は、こんなにたくさんの人が協力してくれて、すごいなぁと思いました。ついに慰霊碑は、完成しました。たくさんの人の協力のおかげでできた慰霊碑。私は、すごく感動しました。協力し合えば、喜びが来るのかなぁと思いました。一人や二人の力では、無理だとしても、たくさんの人がいれば、何事でも出来る!と分かりました。

原子爆弾のすごさでは、私が思っていたものより、はるかにすごいものでした。最初に私が思っていた原子爆弾のすごさは、ただ爆発して、火事が起こるだけかな?と思っていました。けれど「折り鶴の少女」を読んで原子爆弾がどんなにすごいものか、分かりました。熱は、四千度ほどで、風速は、約四百四十メートル、ビンやかわらが溶けるぐらいの熱さ、家などを破壊するほどの風、それに放射能をばらまく性質がありました。私は、予想以上の原子爆弾で、すごく驚きました。少し、こわくもなりました。原子爆弾は、もっともあってはならないものだと思いました。

この話を読んで、原子爆弾・戦争を無くし、平和な世界にしたいと思いました。慰霊碑の時みたいに、みんなで協力し合えば、原子爆弾・戦争を無くせると思うし、あの慰霊碑を見れば、原子爆弾・戦争は、やってはいけないものだと分かると思います。

☆麻美さん・綾香さんへの子供の批評

私の書いていないところも書いていた

田野由香

私は、「折り鶴の少女」の作文で、麻美ちゃんの作文と綾香ちゃんの作文を読みました。それぞれ、良いところがあったり、同じ意見を書いていたりしているところがありました。

麻美ちゃんの作文では、「協力し合えば、喜びが来るのかなぁと思いました」と書いてありました。この文を読んで、私もそうなのではないかな?と思いました。また、私は麻美ちゃんと同じ意見を持ったところがありました。それは、原子爆弾をなくし、平和な国にしていきたいというところでした。麻美ちゃんもこのように、たくさんの人達が、苦しんでいくのを聞きたくないし、見たくもないのだと思います。

綾香ちゃんの作文には、私の考えていなかったことが、たくさん書かれていました。その中でも一番良いなと思ったところは、「家は直せるけれど、死んでしまった人はもうもどらない」という文でした。私は、そこまで考えてはいなくて確かにそうだなと思いました。ゲームなどでは、生き返ることはできるけれど、人間の命は1つしかないと思いました。他にも、色々なことを書いているところがあって、私が書いていないことが書かれていたので、こんな考え方もあるな、と思ったりしながら読みました。とても楽しかったです。

原爆のこわさと平和への願い

広沢佐緒里

『折り鶴の少女』を読んで、私は広島と長崎に落とされた原爆のことをあらためてこわいと思いました。読んでいて最初は、熱と爆風と熱の影響で起きた火災などがこわいと思っていました。そして、放射能の影響で原爆症になることは、その時あまりこわくないように思っていました。熱などでたくさんの人などが死んで、生きていてもとてもひどいけがをしている人が多かったからです。原爆症なんてこれに比べたらこわくないと思っていました。

けれど読み進んでいくうちに禎子のお父さんとお母さんが原爆症にかかって、ついに元気だった禎子まで原爆症にかかってしまいました。原爆症はどんな元気な人でも、放射能を受けたらかかるかもしれないと知って、少しこわいと思いました。禎子の白血病が少しずつ進んでいって、私は原爆病のこわさを知りました。白血病以外にも原爆症の病気がありましたが、白血病はその中でもやっかいな病気とありました。私は読んでいて、原爆症は熱や爆風と同じくらいか、それよりもこわいと思いました。原爆は、放射能と熱と爆風と火災があり、とてもこわいとわかりました。

原爆以外にも日本全国に爆弾が落とされて、みんな大変だったと思います。だから、慰霊碑を作るための募金にも協力してくれたんじゃないかと思います。もう戦争が起こらないように、禎子のような人がでないようにとみんな願っていたと思います。私も戦争が起こらないように努力したいと思いました。慰霊碑を作ったときのように、一人では無理でもみんなでがんばればできると思います。全国のみんなが願った平和が続くといいと思います。

☆佐緒里さんへの子どもの批評

たくさん発見できた

立岡綾香

私はみんなの作文を読んで、ほとんどの人が書いている文があるのに気がつきました。それは、「原爆の子の像を作る時にみんなで協力したように、協力すれば戦争もなくせる」ということです。私の新しい発見でした。確かに、みんなの力ですばらしい像ができ上がったのだから、戦争もなくせるかもしれません。私が今まで考えていなかったことが、友達の作文からわかってよかったです。私も、その通りだと思いました。

佐緒里ちゃんは、私と同じテーマで作文を書いていました。原爆のこわさと平和の大切さについてです。でも、1つ私が考えなかったことがありました。全国の人々が慰霊碑作りに協力してくれたのは、自分達も戦争で大変な目にあったからだ、というところです。私はずっと広島のことしか見てこなくて、他の地域でも空しゅうがあったことをすっかり忘れていました。でも、佐緒里ちゃんは考えていて、すごいなと思いました。

私はみんなの作文を読んで、発見できていなかったことが発見できました。まだ読んでいない人の作文からも、新しい発見があるかもしれないので、読んでみたいです。

仲間を持つことが大切

村木 翔

ぼくは、この『折り鶴の少女』を読み終えて、身の回りの仲間を大切にしたほうがいいと思いました。この原ばくの子の像ができたのも、禎子に仲間がいたからです。原爆症になった禎子は仲間にはげまされて、禎子は幸せだなと思いました。禎子が、死ぬときにいっぱい人がいましたが、最後に言った一言が「おいしい」でした。多分もっと他に言わなければならないことがあったと思います。それは、仲間への「ありがとう」の一言だと思います。全国で今、いじめ問題があるけれど、そのいじめられている人に、仲間を持ってほしいと思いました。

原ばくの像ができたのも、クラスメートと全国の人たちのおかげでできたのですが、わざわざ全国に呼びかけているのがすごいと思いました。ぼくが禎子の友達の立場であれば、そんなに全国の人たちによびかけまではしないと思います。いつまでも死んだ人のことでくよくよしていたら、人生に何にもできなくなるからです。でも、この仲間たちは、禎子が天国にいっても喜んでくれるように、像をつくったと思います。(禎子以外のためにも)。

今自分には、たくさんの仲間がいますが、ぼくも死んだら、悲しむ人がどれくらいいるのかなぁ、と少し考えたことがあります。でもぼくには、信らいできる仲間、家族がいます。だから、禎子にも負けないぐらいの仲間がいると思います。

この折り鶴の本(実話)は何のために作られたのかなと思いました。予想としては、戦争のこわさ、そしてぼくが言った仲間の大切さを教えようとして作られたと思います。

折り鶴の少女は、仲間が大切だということを伝えたかったのではないでしょうか。ぼくは、一人一人、いい仲間ができたらいいなと思いました。

☆翔君への子どもの批評1

すごくいいことを書いてあってよかった

広沢 悠

ぼくは、翔君の作文がいいと思いました。翔君の作文で一番よかったことは、最後のところの折り鶴の少女は何を伝えたかったのかというところです。ぼくの考えでは、戦争のこわさ、みんなで力を合わせればすばらしいことができる、ということです。でも翔君はこう書いていました。

「戦争のこわさ、そしてぼくが言った仲間の大切さを教えようとして作られたと思います。」

ぼくは、仲間を大切にするということは、思いつきませんでした。でも、翔君はそう思ってすごいな、と思いました。翔君は、すごくいいことを書いていたのでよかったです。

☆翔君への子どもの批評2

作者の考えまで考えてすごいなあ

村木宏太

みんなの作文を読んで一番そうかなと思った作文は、翔君の作文です。どこがいいと思ったかというと折り鶴の少女は「仲間が大切だということを伝えたかった」と書いていたので、ぼくの気がつかないところまで書いていてすごいなあと思いました。翔君の作文を読んだ時は、ぼくもそう伝えたかったんかなあと思いました。翔君は、作者の考えまで考えてすごいなあと思いました。みんなの作文を読んでぼくが気がつかなかったこととかが見つかってよかったです。

禎子を温かく見守ってくれた人達

西田明里

私は、この『折り鶴の少女』を読んで一番思った事は、この佐々木家の家族はすごく優しい家族だなぁ、ということと、家族だけが優しいのではなく禎子の友達などもすごく優しいなぁ、ということです。

特に私がすごく優しいなぁ、と思うところがありました。禎子の友達が、「お別れ会」をしたり、いろいろな事をしてあげたところです。「お別れ会」では、禎子に喜んでもらうために、歌や劇をしてあげるところからも、私は、すごく友達思いで優しいなぁ、と思いました。

この「お別れ会」も優しいと思ったけれど、やっぱり家族の優しさが1番だと思いました。原爆が落とされた時も、子供達のことを思っていて優しいなぁ、と思うところがありました。また、戦争が終わって、禎子がややこしい白血病にかかってから、禎子のことを支え合ったりして優しいなぁ、と思うところがありました。それは、お母さんのことで、禎子が入院する事になった時に、禎子のお母さんはいっしょに病院に泊まってあげていました。家には、子供達がいるのに禎子のことを思い、いっしょに泊まってあげて優しいと思いました。そして、お父さんでは、禎子が白血病だと知ってから、佐々木家はお金がないのに、晴れ着を買ってあげて優しいと思いました。そして禎子の病気の白血病が進んでいる時も、禎子のお父さんお母さんは2人ともが、禎子にしてあげられることは、2人とも何でもしてあげたり、禎子がつらそうにしている時や悲しんでいるときは、支えてあげたりしてすごく温かい、やさしい家族だと思いました。そして最後には、禎子にお茶づけをお母さんが大急ぎで作ってあげて、お父さんがお茶づけをさじですくって食べさせてあげるところもやさしい感じに思いました。特にこの時、大急ぎでしているところが、優しい感じに思えました。禎子はついに亡くなってしまいました。この時、今まで禎子にできることを何でもしてあげて、支えてあげたりしていた禎子の家族が、誰よりもつらくて悲しかったと思います。

禎子は死んでしまったけれども、優しい友達・先生に支えられたり、禎子のことを優しく支えていた家族がいてよかったなぁ、と思いました。

☆明里さんへの子どもの批評

友達の文まで読むと、私が思わなかったことまでわかった!

広沢紗季

今日、国語の時間に、みんなが書いた『折り鶴の少女』の「全文短い話しかえ」を読み合いました。

みんなが、禎子の家族や友達の優しさや、禎子の優しさや、爆風のことなどをきちんと細かいところまで書いていて、私はすごいと思いました。とくに明里ちゃんの文が良かったと私は思いました。なぜかというと、すごく細かく書いていたからです。それに、最後に書かれていた「禎子は死んでしまったけれども、優しい友達・先生に支えられたり、禎子のことを優しく支えていた家族がいてよかったなぁ、と思いました。」というところがよかったです。私は自分が書いた文には、そういうことは思いつかなくて書いていなかったけれど、このところを読むと私も同じことを思いました。とてもいいことを書いているなと思いました。

他にもいいことやとても細かいことを書いている人がいました。私と同じことを書いていた人もいたし、私が気付かなかったことも書いていた人もいました。とてもすごいと思いました。それに『折り鶴の少女』を読んで原爆のこわさがわかったこともよかったです。

たったのわずか11年と少しの間しか生きられなかった優しい気持ちを持っている少女

広沢紗季

私は、この『折り鶴の少女』を読んで、やっと生まれて初めて本当の戦争の恐ろしさが分かりました。私はこのお話で、禎子という女の子が亡くなってしまった事が一番心に残っています。だから禎子さんの一生のことを書こうと思いました。

禎子さんは、原爆にあい、重い白血病という病気にかかってしまいました。私は白血病って何かなと思いました。すると、読んでいったら、白血病は体がだるくなって、ひどい場合は死ぬかもしれないと書いていたので、禎子さんが死ぬなんてありえないと私はその言葉を信じたくありませんでした。そして、家族の気持ちになって考えると、どんなに信じたくないだろうと思いました。

禎子さんはすごく元気な女の子で、走りはクラスではリレーのスターと言われるほど速かったらしいのです。私は一回禎子さんの走りを見てみたいなと思いました。こんな禎子さんに、白血病についての気持ちを教えてほしくなりました。

禎子さんの一家やクラスのみんなや先生は、すごく禎子さんに優しいと思いました。それはきっと禎子さんが良い人だからだと思いました。

とうとう病院での生活が始まってしまいました。禎子さんの病院での生活はとてもたいくつそうでした。でもさっさと何かできる遊びはないかと自分で探し、鶴を折ることにしました。私はだから題は「折り鶴の少女」なのかと思いました。全部で禎子さんが折った鶴は、千羽をこえていたそうです。すごいなと思いました。そういう日々が続き、とうとう禎子さんは目を閉じました。みんなすごく悲しんでいて、泣いている人もたくさんいました。でも、家族の人たちは、泣いても禎子が帰ってくるわけではないし、どんな気持ちなのかなと思いました。あんな苦しい病気のまま、いつ死んでしまうのかと思いながら、生きていくのか死んでいくのかどっちが幸せだったのかと考えました。

私は、戦争がこんなにも恐ろしいものとは思っていませんでした。戦争の恐ろしさがよく分かって、戦争は絶対にしてはいけないと思いました。

☆紗季さんへの子どもの批評

紗季ちゃんが禎子のことで、どのように思っているのかが分かった

西田明里

私は、紗季さんの作文について考えました。紗季さんは戦争の恐ろしさのことと、禎子のことについて書いてありました。私も、紗季ちゃんと同じ気持ちだな、と思うところが2つありました。

まず、1つ目は、「禎子さんが死ぬなんてありえないと私はその言葉を信じたくありませんでした。」と書いてあるところで、私も禎子が死ぬなんてありえないと絶対に信じたくありませんでした。あと、もう1つは、「鶴を折ることにしました。私はだから題は「折り鶴の少女」なのかと思いました。」と書いてあるところです。私は自分の作文には書いてなくて、紗季ちゃんの作文を読んで、確かにそうだな、と思いました。

また、よく書けているな、と思ったところは、禎子に対しての自分の気持ちなどが書けていたところでした。

紗季さんの作文を読んで、紗季さんが禎子のことについてどのように思っているのかが分かってよかったです。

力を合わせればすばらしいことが起きる

広沢 悠

僕が、折りづるの少女を読んで、一番心に残っているのは、禎子の友達のことです。友達は、慰霊碑を作る事にしました。僕は、慰霊碑なんてお金がかかるし無理だなと思っていました。とてもでかい夢でした。ビラを作り、校長先生が集まる時に募金することになりました。みんなは、一生けん命ビラを作りました。僕もなんだか手伝ってあげたいなと思いました。ようやくできあがって配りました。僕は、しっかり見てくれるかなと思いました。見てくれた人もいるけれど、ポケットに入れて見てくれなかった人もいました。僕は、せっかく一生けん命作ったのに見てあげてと思いました。

募金が終わった時に、750円集まっていました。これだけじゃ慰霊碑は作れませんでした。でも、遠くの場所で輪が広がっていました。もっと広がってくれと思いました。北海道から4401円お金が送られてきました。すごいなと思いました。でも、それだけではありませんでした。ほかの所からもお金が送られてきました。僕は、でかかった夢なのにかなえられるかなと思いました。次々にお金が送られてきました。最後には、5千万以上集まりました。これだけあったら慰霊碑が作れると思いました。もう手の届くところに夢がありました。ついに慰霊碑が作られました。

僕は、絶対かなえられないと思っていたけれど、かなえられました。これは、みんなが努力し合ったからこそかなえられた夢だと思いました。みんなでやれば、どんな夢でもかなえられると思えてきました。僕は、この折り鶴の少女を読んで、みんなで協力したらすばらしいことができるとわかりました。本当にいいお話でした。

☆不特定の友だちへの子どもの批評

いろいろな人の意見が聞けてよかった

西田正典

ぼくは、みんなの作文を読み、みんなのいろいろな気持ち・意見・感想などが分かり、すごくよかったです。

ある人の作文は、すごく原爆症・白血病のことを中心に書いてありました。ぼくは、目標を決めて書く書き方もいいなと思いました。でもある人は、自分の思いだけを書いていました。ぼくは、さっきのある人の作文より、こっちの方がいいなと思いました。この作文では、ぼくの気がつかなかったことや、書いていなかったことも書いていました。ぼくは、すごいなと思いました。いろいろな人の気持ち・意見・感想などがたくさん聞けてよかったです。

☆不特定の友だちへの子どもの批評

他の人の作文を読んで

本木美沙

わたしは他の人の作文を読んで、わたしが考えつかなかったことをたくさん書いているんだなと思いました。わたしが読んだ作文には、ほとんどに「戦争を起こさないようにしたい」とか「原ばくはとてもこわいものということを知った」ということを書いていました。中には、原ばくの子の像のことで思ったことを書いている人もいました。原ばくの子の像のことはわたしはほとんど何も書いていませんでした。でも他の人の作文を読んで「一人ではなにもできないけど、みんなで力を合わせたらできるようになることがわかった」とか「禎子が天国でも喜んでくれるようにつくった」とかいろいろ書いていました。わたしはそうだな、と思いました。他の人の作文には自分の思っていないことがたくさん書かれていました。わたしは、他の人の思っていることが分かってよかったなと思いました。